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子供の頃の自由な食生活
小学校に上がる前には両親は離婚して、
父親に育てられた私は子供の頃から
好きなものばかり食べてきた。
8つ上の姉は手料理を振る舞ってくれる
こともあったが、
毎日というわけにはいかなかった
ようで、
私は弁当屋へ自転車で行ったり、
父がスーパーで何か買って帰ってきて
くれたり、
自宅から目と鼻の先にある商店の
おばちゃんが賞味期限間近の
弁当やおにぎり、パンをしょっちゅう
くれた。
愛情深い父は私達兄弟を自由に育てて
くれた。
欲しい物はなんでも買ってくれたし、
行きたいとこはどこへでも行かせて
くれた。
毎週末になると朝マックの袋を両手に下げて
帰ってきて、開けっ放しの玄関から元気に
入ってきて大声で、
「たったらららら…たったらららら…」
と言いながら帰ってきたかと思うと、
テーブルの上に "ドーン" と朝マックの袋を
置き、兄と一緒になって嬉々として群がった
ことを覚えている。
マックは吉野家の牛丼になったり、
兄が好きなとうもろこしも大量に茹でて
置いといてくれた。
月に1〜2度は外食に連れて行ってくれ、
お寿司が好きと言えばお寿司屋さんに
ばかり行き、
ファミレスにもしょっちゅう
連れて行ってくれた。
私は嫌いな食べ物は特にないが、
好んで野菜を食べるような子供では
なかった。
お肉とお菓子が大好きで甘い物には特に
目がなかった。
栄養のことについて考えたことは恐らく
一度もなく、学校給食も大好きだった。
子供の頃は全く集中力がなかったのだが、
食生活も多少は影響していたのだろうか。
とはいえお腹を空かせたことはなかった
だろうからむしろ極端に偏った栄養過多
気味であったかもしれない。
・マクロビ初体験
初めて食事に気を使うようになったのは
26歳で瞑想の為に訪れた京都である。
10日間の合宿コースで行われた
瞑想センターでは、マクロビオティック
のビーガンに近い食事であったから、
肉魚のない食事でもバリエーションに
富んだ食事が出来るということが新鮮に
思えた。
瞑想センターの後すぐに京都出身の女の子
と付き合うようになり、それから京都に
住むようになり、
彼女がマクロビオティックに詳しかった
ことからそれからマクロビ一色に染まる
ようになった。
ビーガンを始めて気づいた大きな変化は
暴力的でなくなったことだ。
人と言い争うような意見を持たなくなり、
服装もそれまでの派手なものから
アースカラーを好んだ大人しめのもの
になり、ほとんど外食をしなくなった。
しかし未熟な精神探求者のそれはどこか
陰湿的なとこがあり、農薬や添加物、
保存料や砂糖などに対して嫌悪感を抱く
ようになっていた。
特にそういった食事を始めたばかりの
人はこだわり過ぎることが多いのでは
ないだろうか。
身体にとって良いものをとっていた
つもりだったが、心の方は神経質にも
なっていた。
気になり出したらトコトン気になって
しまうのだ。
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瞑想の恩恵…味を知る
京都を出て生活環境の変化からマクロビ的
食生活には終止符が打たれた。
それまでの反動でもあるかのように自由
気ままな食生活はそれ以降40歳に
なるまでずっと続いていた。
32歳から東京で掃除の仕事を始めて、
2年程が経った頃からお金に余裕も
できてきたので、外食することが
極端に増えた。
その頃には30歳から本格的に始めた
瞑想のお陰で集中力はかなりついていた。
"味の違い" が分かるようになったのは
その頃からだと思う。
目の前の物事に対する注意深さが、
味わうことの楽しさを教えてくれた
のではなかろうか。
それは瞑想の恩恵だと思っている。
30代半ばにして食生活が本当に楽しく
なった。
仕事では社長としてバリバリ働いていた
から好きな物を好きなだけ食べた。
幸い太らない体質だったようでどんなに
食べても体格は変わらなかった。
その分動いていたと言えばそうかも
しれない。
朝はコンビニの甘いパンを食べ、
車から降りるのが面倒な時は
ドライブスルーで済ませることも多かった。
地元界隈の美味しいお店は片っ端から足を
運んだ。
とは言え高級料理店というわけではない。
結婚もして、会社の事務もしてくれていた
妻とは会社からの帰り道によく食事に
出掛けたものだ。
こだわりの強い妻は薄味が好みなので、
薄味好きを唸らせる店は本当にセンスが良い
のだろう、しかしそんな名店は数えるほど
しかなかった。
値段の高いお店にはあんまり行ったことは
ないが、「看板とのれんとたたずまい」は
重要で、そこでの表現のこだわりは味に
出ていることが多かった。
もう東京に住むことはないと思うが、いつか
「看板はかく語りき」というブログでも
やってみたいと思っているのである。
・こだわりの自然な食生活
40歳で過労で倒れ、それをきっかけに
東京での一切合切に見切りをつけ、
妻と2人、新潟の山奥へと引っ越してきた。
それから私は約半年間禅宗臨済派の門を叩き、
修行生活に明け暮れた。
お寺ではやっぱり精進料理がメインで
あったが、そのお寺の住職が
"全日本仏教協会会長" 職も務めたような
方であったから、全国各地からとにかく
御供養 (贈答品) されるものが多かった。
だから必然的に肉魚を食べる機会も多く、
グルメな住職にあやかって食事は中々贅沢
であった。
果物を毎食食べるような食生活は初めて
であった。
一般人の修行希望者を受け入れているお寺で
あったから、そこまでルールが厳しいという
訳でもなかったから、お酒も解禁されて
いた。
そんなお寺での生活も残り二ヶ月となった
ある日、正月休みをもらって一週間ほど
新潟へ帰ってきたのだが、
その時は毎晩お酒を飲み、
高価なお肉を食べ、お菓子を食べて過ごして
いた。
しかしお寺へ帰る道中に「後二ヶ月しかない、
こんな堕落した気持ちじゃ悟れっこない❗️」
と一念発起し、それ以降お酒、お菓子、添加物
、肉、魚、砂糖、加糖 (蜂蜜など)、間食、
を一切摂らなくなった。
今ではそれから約半年が経つが、
力まずにそういった食生活は続いている。
当時マクロビに傾倒していた頃のような
陰湿的な気持ちはなく、肉も魚もあれば
食べるし、食べる機会ならば食べる。
しかし好んで買うようようなことはなく
なった。
新潟へ来たばかりの頃は毎晩ビールなり
日本酒を飲んでいたが、なんだか興味が
なくなってしまった。
かといって飲まないと決めている訳でも
なく、友達と会えば付き合いで飲むことも
あるだろう。
- 最強サプリメント
もう5〜6年くらい前からだろうか、
唯一続いているサプリメントが
「ヘンプパウダー」という麻の実の粉末
である。
これは植物史上最強の栄養価を誇り、
その生命力の強さから農薬を使わずとも
雑草ばりの勢いでどこにでも群生し、
それゆえに安価という最高の代物である。

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これを飲み出してからというもの、
妻は月一女子特有の「眠い、怠い、頭痛、
イラつく、集中出来ない、お菓子を欲する」
という貧血の症状が全くなくなり、
家庭内には平和が訪れたのである。
現在の食生活は基本的に自然栽培
(無農薬、無肥料)で育てられた野菜やお米、
無添加の調味料など、マニアの手によって
作られたこだわりの食材を買うように
している。
自然栽培の玄米から取れた糠をを利用して
糠床も育てている。
そういった食生活が心と体にどのような
影響があるのかははっきりと分からないが、
"美味しい" ということは確かである。
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食の変化…心の変化…行動の変化
妻に言わせると食生活の変化以降、
私の車の運転が目に見えて穏やかになった
のだという。
確かに言われてみれば先を急ぐような
こともなくなったし、走行中も後続車を
先に行かせるようになった。
お寺から帰ってきてからは以前より断捨離も
捗ったから部屋もタンスも心もスッキリ
したのだ。
最近では自然栽培で造られた玄米麹
を取り寄せて、これまた自然栽培の玄米で
甘酒を作っている。
先日は麹菌造りにもチャレンジしてみたが、
ギリギリ成功というものであった。
納豆や甘酒、ぬか漬け造りなど、働き盛りの
一般的な中年男性のする事とは到底思えない
が、こだわりを持って生活する事が楽しい
のである。
"琴線に触れた物事を選ぶ" という
こだわりは、食生活の改善によって
その他の欲望が大人しくなってきて磨きが
かかったように思える。
都会に比べ極端に刺激の少ない田舎暮らしに
あって、身の回りの物事に対するこだわりは
強くなったのかもしれない。
欲望が減ったというよりは欲望の質が
変わったのかもしれない。
それにしても昔から毎日の食事は楽しみで
ある。
良質少量を選択するようになってから
こだわりはさらに強くなったように
思える。
食生活の変化が日常生活にどう影響を
与えるのか、日々の徒然をブログで
発信していく中で、皆さんにもその気づき
を共有できたらと思うのである。