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若い頃の放浪癖
沖縄県宮古島市出身の両親は上京して東京都
中野区に暮らしていた。
姉と兄の末っ子として産まれた私達が家族
揃って宮古島へ行ったのは私が物心ついた頃
のようで、その時のことは殆ど思い出せない。
学校行事や何かでたまにしか大自然を満喫
したことはなかったし、自然を気持ちいいと
本能的には感じていただろうが特に好き
という印象はなかった気がする。
むしろ田舎に行ったらTVのチャンネルが
少ないことに嫌悪感すら感じていた。
子供の頃はTVっ子であった。
恐らくTVの影響のせいで東京に対する
ステータスは強く持っていた気がする。
田舎の不便さ、店の少なさがダサいように
思えていた。
19歳までは東京の中野界隈で親元で暮らし、
それから大阪に半年、神戸に2年、
東京に1年、沖縄県宮古島に2年半、
豊橋に半年、長野に3ヶ月、京都に半年、
神戸に半年、千葉に2年、西東京に3年、
東東京に8年、現在は新潟に移住してきて
1年目になる。
関西から東京の地元に戻ってきた
22歳の頃、代々木でコーヒーポットを
スタジオにデリバリーするアルバイトを
していた。
毎週末になるとお馬鹿な若者が東京で遊ぶ
程度の夜遊びを満喫し、夢もへったくれも
ないような青春をそれなりに謳歌していた。
ある日クラブ仲間の友達が
「田舎に引越して農業を始める」という
話しを聞いて感銘を受け、
「俺も田舎で生活してみたい❗️」と思い、
それから一月後には東京を離れてとりあえず
タイに3週間ほど貧乏旅行をして、
幼い頃に離婚して沖縄本島に一人暮らしを
していた母と一緒に両親の生まれ故郷である
沖縄県宮古島へと引っ越した。
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宮古島での生活
宮古島は冬の三ヶ月間はサトウキビの収穫、
その後三ヶ月間は葉タバコの収穫と
季節労働が賑わう。
母と一緒に農業をするつもりであったが、
それまで東京の夜の遊びにどっぷり
浸かっていた若者が閃きだけで訪れた田舎で
いきなり母親と農業に勤しむはずもなく、
季節労働の半年のバイト以外は母が頑張って
始めた畑の手伝いを殆どしなかった。
しかし宮古島の自然は圧倒的であった。
東京での自堕落な生活環境から
180度方向転換してさぞかし環境の変化から
ストレスでも溜まるかと思いきや、
逆に大自然は都会のストレスを癒して
くれた。
宮古島には「おとーり」と呼ばれるお酒の
飲み方があって、簡単に言えば、親が挨拶
をして小さめのコップでビールか泡盛の
水割りを一気で飲む。
親がお酒を注いで一人づつ順番に同じように
して一気で飲んでいく。
一周したら親が変わって又お酒が回る。
その間隔は5分くらいで行われ、
エンドレスで続いていく、というなんとも
クレイジーな飲み方があり、
その風習は下は中学生から上は80過ぎの
老人まで、キャバクラの女の子も勿論の
こと、運動会が終わった体育館ですら
先生とPTAが集まって飲む。
そしてそこには必ず「おとーり」で飲む、
という鉄の掟がある常軌を逸した土地で
あるのだ。
始めは慣れない「おとーり」が嫌だったが、
慣れてくると大好きになり、「おとーり」
なしでは満足出来なくなってしまった。
そしてどんな仕事をしていても
週に2〜3回は必ずどこかの飲み会に参加
していた。
お酒は人を良くも悪くも狂わせる。
お酒は「喜怒哀楽」の感情が爆発する。
お酒の力で本音丸出しの人付き合いは、
産まれた頃から19歳まで住んでいた東京
よりも宮古島での2年半の方がよっぽど
友達が出来たし、仲良くもなれた。
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山小屋での生活
その後宮古島を離れインドへ旅をしたり
しながら長野県でアルバイトをした。
確か7〜9月までの期間で八ヶ岳の最高峰
2899mの赤岳の頂上小屋で住み込みの
バイトをした。
宮古島での生活以来自然の中で生活する
ことが気楽に感じていたようだ。
別に登山に興味があった訳ではないが、
住み込みのバイトを探していたらネット
上にあげられていた圧倒的な雲海の
写真に魅せられて行くことにしたのだ。
この頃はまだ瞑想も行っておらず
妄想野郎であった。
頂上小屋での仕事は持て余している時間
の方が多かったから今思えば瞑想する
にはもってこいだったと思う。
インターネットも使ってなかったし、
スマホという時代でもないから本当に
大自然しかないないような環境で
あったが、退屈だとは思わなかった。
2899mもある山の頂上は大体毎朝晴れて
いてご来光がみえるのだが、10時頃には
下界の湿気が上がってきてガスってしまう
(雲のこと) そうなると雲の真っ只中に
いるので景色は楽しめないのだ。
週に一回のお風呂からは雄大な山並みが
望め、山小屋暮らしで最高の贅沢な時間で
あった。
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京都…そして新潟へ
京都の自然も印象的だった。
京都へは瞑想センターに行く事がきっかけで
訪れたのだが、京都の街は自然に囲まれた
盆地で街と山との距離が近い。
私が部屋を借りたアパートは幹線道路から
離れた静かな所で小高い山の裾野辺りで
山の空気が近く感じられた。
春になって近所の山に登ると京都の街は
桜の花でピンク一色に染まりとても綺麗
であった。
真冬には真っ白な山並みに囲まれて異次元
世界にいるかのようであった。
そして現在は標高1000m近くある新潟の
山奥に住んで一年が過ぎた。
自宅から最寄りのコンビニまでは車で
約30分かかり、シーズンにならないと
商店も開かないからなにもないに等しい。
しかしお寺から帰ってきてからは食欲など
があまりなくなったから特に困っても
いない。
窓の外から見える景色や毎日の小一時間の
散歩の時に大自然を満喫できることの方が
よっぽど嬉しい。
唯一通年営業している「雪ささの湯」は
本当にありがたい。
しかも泉質が超濃厚で露天風呂もあって
最高に気持ちいいのだ。
寒い冬は温泉に限るし、この地は下界よりも
気温が低いので春から秋にかけても十分に
楽しめる。
この地は山の真っ只中なので自転車で少し
行けば川がある。
川の水は夏場でも異常に冷たくて五分と
入っていられず、冷えた体には夏の暑さが
ありがたくすら思えるのだ。
自宅にクーラーはついてないが、暑く感じる
ようなことはない。
瞑想を始めてからというもの一つ一つの
選択には確かなこだわりを持ってきた。
アンテナの高い人や仕事に志のある人ならば
何事もピンからキリまである東京に住む
理由があるだろうが、私はそのどちらでも
なかった。
都会で得られる感動は探して初めてみつかる
もののほうが多かったが、自然の中に居ると
いつでもどこでも自然と感動出来るのだ。
自分以外のもので最も身近存在である
生活環境にこだわることは最重要テーマで
あった。
もう余程の事がない限り都会に住む事は
ないだろう。
街に車で降りるのも用事がある時くらい
なので月に数回程度である。
下界との温度差は4〜5度もあり、
車で上がってくると本当に心地よく感じる。
人の多い寺社仏閣よりも、
大自然の中の方がよほどパワースポット
な気がするのは決して気のせいではないと
思うである。