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笑いのルーツ
子供の頃に大爆笑した最も古い記憶は、
小学校低学年の頃に自宅で笑い転げた
ことである。
夜に兄と姉と三人で
「とんねるずの皆さんのおかげです」を
見ていてどツボに入ってしまい、
CM中もずっと一人腹を抱えて笑っていた。
「もう、うるさい!」と怒られながら、
炬燵に顔を突っ込んで一人突っ伏して
笑っていた。
昔から事あるごとに作家に憧れていた。
絵は苦手、音感はある方だが音楽を
やろうとはどうも思わない。
20代の頃は寝る前に布団の中で
面白い事を考えるのが大好きだった。
“このシチュエーションではこうボケよう"
"田代まさしの仕込み芸はおもしろいな"
と毎晩考えては中々眠りにつけなかった。
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お笑いさんに憧れて
車の工場に居て本格的に瞑想を始めた
12年前、毎晩2時間の瞑想と1〜2時間の
文章による創作活動は「いつか自分にしか
出来ない仕事に就きたい❗️」という
現実逃避的な動機からくるものであったが、
思えば現状に満足していない時はいつも
夢を追いかけて邁進する事に満足感を
感じていた。
当時は「スピリチュアルの側面」と
「ユーモアの側面」というタイトルで二つの
全く異なる文章を書いていた。
「スピリチュアルな側面」はもう一つの
ブログ「求道者は黙して嘘をつく…」で
書いているような内容であった。
「ユーモアの側面」もそれなりに自信が
あり、東京に戻ってからは地元の友人に
挿絵を描いてもらいブログにあげていこう
かと画策したりしていた。
当時、作家や歌手やアーティストといった
類の人を幅広く発掘している六本木の
芸能事務所に腕試しがてらこの二つの文章を
持ち込んだことがある。
評判は意外にも上々で、
「スピリチュアルの側面」は楽曲の作詞
という事で持っていったのだが、
「内容が深すぎて曲がのせづらいんです。
もっと抽象的でないとダメですね。ただ、
意味は凄く深いですね」と評価され、
「ユーモアの側面」は特に気に入られ、
「そうですねぇ、じゃあとりあえず仮契約
してオーディションにでも
行ってみましょうか…」という事になった。
しかし話しをよく聞いてみるとどうやら
お笑い芸人の方向で考えられていたようで
ドン引きしてしまった。
お笑い芸人になるつもりは毛頭なかった。
その頃は東京に戻ってきて一年少しが
経った頃で、当初から始めた
ハウスクリーニングの仕事は
アルバイトから完全歩合制の業務委託契約に
変わったとこだったので、借金を返して
お金を貯めるべく、とりあえずそちらの
仕事に尽力しようと思って作家の夢は
棚に上げておいた。
執着を捨てようと思いその頃書いた文章は
全て捨ててしまった。
しかし書いた内容は今でも大体覚えている。
当時はA4のノートにボールペンで
書いていたから、何度も何度も読み返しては
書き足しては消してを繰り返してノート上は
ぐっちゃぐちゃで清書する時は苦労した事を
思い出す。
11年前からの最大関心事は "悟り意識" に成る
ことであるから、ドロップアウトしてからは
悟り意識までの道のりを伝えるべく求道作家
として生計を立てようと考えていて、
「求道者は黙して嘘をつく…」では無心で
いることの効能や洞察を書き、この
「求道作家のこだわりオーガニック
ど田舎生活」では日々のライフスタイルを
面白おかしく書いていこうと思っていた。
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面白いのが悔しくて
お寺に修行に行く前に契約していた
amazonprimeビデオが一年契約だったらしく、
しばらくは観れるということで
「松本人志のドキュメンタル」
というお笑いドキュメンタリーを
最近観るようになった。
それを面白く観ている反面、悔しさのような
羨望のような感情があることに気づき、
「そう言えば昔ふざけた文章を書いてた
よなぁ…」とあの頃の事が懐かしく思えた。
誰もがユーモアを持っているだろうけど、
大人になって社会に出ると遠慮して
あまり人前で表現しなかったりする。
私もそうだったのかもしれない。
お金ばかりを追いかけていた東京での10年間
は仕事付き合いの人に冗談を言うような人柄
ではなかった。
そうか、そう言えばあの頃は
"仕事がひと段落したら又書き出そう" とそう
思ってたんだ。
まだ叶えてなかった夢があったことに
気づいて、「これからはあの頃みたいに
自由に表現していいんだ、バカな事も好きな事
も書いていいんだ」
とそう思うと嬉しくなった。
そう言えばスピリチュアリストでユーモアな
個性を表現してる人ってあまり聞いたこと
ないよなぁ…。
そう考えるととてつもなくやる気が
漲ってきたので、人に迷惑をかけず、
遠慮なくおバカなことも書いていこうと
思ったのである。