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幼少期
かつての私は何一つとして物事が上手く
いかず、期待通りの結果を得ることは絶対
にできなかった。
それが今では願望してきた殆ど全ての物事
を手に入れられるようになった。
そんな私の挫折は産まれる前からすでに
決まっていたようなものであった。
姉と兄の末っ子となって産まれる事になった
私の妊娠中に母は煙草を吸っていたのだと
いう。
それが胎児に良い影響を与える筈がない。
小学校低学年の頃には両親は離婚し、
父親に引き取られ、放任主義の父の愛情は
毎週末の朝マックと大量の吉野家の牛丼に
よってたっぷりと注がれていた。
父親の愛情とは裏腹に、そういった食生活が
子供の成長と集中力に悪影響を与えると今で
こそ分かるが、子供心に週末のたのしみで
あった。
野放しにされて育った子供ほど
"自由でモラルのない" ことはない。
小学校の頃の授業中の最も鮮明な思い出と
いえば、五分おきに時計を眺めては
「うぅ…まだ五分しか経ってない…」
というものである。
子供の頃は全く集中力がなかったから、
算数などは分数の時点で諦めていた。
運動は大好きで大得意でジッとしているのが
苦痛な子供だった。
性格も明るくてバカ丸出しだったから幸い
虐められるようなことはなかった。
身体は人一倍小さく、デベソで、小学校
低学年の頃はリトルリーグに入っていたから
母にスキンヘッドにされていた。
「坊主が嫌だ」と言おうものなら
怒鳴られる始末であった。
子供の頃は人と違うことが嫌で嫌で仕方が
なかった。
そういった嫌悪感と乱れた食生活にあって、
全く興味も集中も出来ない授業中にする事と
いえばネガティブな妄想でしかなかった。
誰もがそうであるように、私も自分の頭の
中の世界にどっぷりと浸かって生きていた。
元来からして盲信的な性格なので、子供の頃
から何もかも人や社会の意見を鵜呑みにして
真似してきた。
良い事も多少は真似してきたとは思うが、
バカ丸出しで放任主義に育った集中力のない
偏食の子供なんてのは悪い事ばかりを真似
するに大体決まっている。
そんな子供がグレるのも時間の問題であり、
それは殆ど自然な成り行きであった。
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青春時代
自由であることとわがままなことを履き違え
ていた10代の頃は、入ったばかりの高校を
四カ月で中退し、その後アルバイトなどを
していたが、自分のアイデンティティなど
知る由もなかった。
20代の頃は旅人のように各地を転々として
人に迷惑ばかりかけ、迷惑をかけて逃げる
ようにしてその土地を後にするようなことも
度々あった。
そんな私は25歳の頃に住んでいた沖縄県の
宮古島で「仙人瞑想法」という道教の悟り
へのプロセスが書かれた古い本に出会って
衝撃を受けた。
その本の一ページ目を開いてみると冒頭には
「…まず目を閉じてみてほしい…そこは暗闇
ではないはずだ…道教の修行者達はそこを
入り口にして瞑想の深い世界に入っていく…」
とこう書かれていた。
私はそれまでにまぶたの裏に焦点を合わせた
ことなどなかったし、更に読み進んでいくと
何やらその修行法では身体の中心に7つある
チャクラに気を留めて3年間かけて練り上げ、
十分に気が熟したらある日頭頂から気を
ポンッ❗️と出してその気で自らの
コピーロボットを作り、気の行動範囲を徐々
に広げていくのだという。
フィクションにしてはリアルにすぎるその
言葉の羅列は、私の中に未知なるものへの
興味と、そのような修行者への憧れと、
ようやく心が震えるものに出逢えたという
感動を伴っていた。
しかし興味はあるが瞑想が出来るほどの
集中力はなく、その本を読み終えることすら
なかった。
私はそれまでに本を一冊読み切ったと言えば
漫画くらいのものであった。
それからというもの、自己啓発に興味がある
ことが分かり、右脳開発の権威「七田眞」氏
の右脳開発の本などにも感銘を受けて瞑想
への憧れはいよいよ強くなってきた。
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ヴィパッサナー瞑想
その頃は沖縄に住んでいて、友人のお姉
ちゃんが以前京都にある
「ヴィパッサナー瞑想センター」
という所で10日間のコースを体験し、
帰ってきてから「はぁ〜、都会に戻って
くるとオーラが消えていくのが分かって
嫌やわぁ…」
と言っていたと言うのを聞き、しかも料金
は決まっておらずお布施だということにも
魅力を感じ「いつかそこに行ってみたい‼️」
と夢見るようになっていた。
念願叶って27歳の頃に京都のヴィパッサナ
ー瞑想センターに行く事ができた。
しかしそれは "夢のような10日間どころか
地獄のような10日間" であり、4日目にして
集中する事に疲れ、ついには瞑想に取り組む
ことも諦め、妄想にうつつを抜かしていた。
センターで瞑想に充てられる時間は
1日10時間半。
無言、携帯なし、本なし、
コミュニケーションなし、散歩以外の運動
なし、といった極端に何にもない生活で
ある。
全く集中力がなかったから瞑想の良さなど
1mmも享受することができず、
「こんなとこ二度とくるか」とすら思って
いたが、コースが終わった瞬間から
なんとなく思っていた願望が4つも
立て続けに叶ったのである。
その四つとは、「フリマで服を買いたい
なぁ…」と思っていた所、センターに来て
いた若い男の子と仲良くなり、
音楽をやっているという彼は近々京都の
精華大学のオールナイトで行われる文化祭
でプレイするというので、行ってみると
フリマも開催されていたので服を調達
できたり、
「京都に住みたいなぁ…」と思ったら、
その文化祭で知り合った女の子に寒かった
ので買った服を貸してあげた事がきっかけ
で、数日後から居候するようになったり、
そのひと月後には数年前から行きたかった
ネパール旅行に友達が連れて行ってくれ
たり、
「緑の折り畳みの安い自転車が欲しい
なぁ…」と思ったらまさにドンピシャの
自転車をみつけたり、
その後安アパートを借りて京都の骨董屋を
毎日巡り歩くといったまさにトントン拍子
の夢のような生活が訪れたのである。
この事がきっかけで、「これは瞑想の効能
に違いない」と思うようになり、それから
というもの瞑想を本格的にするよう
になり、ヴィパッサナー瞑想センターへは
今日まで生徒として5回、奉仕として1回
参加している。
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どん底時代
しかし、その良い流れも長続きはせず、
27歳の頃に調子に乗って事業を起こして
失敗し、そこからの5年間はどん底の生活
を送ることに…。
それからの五年間は様々な工場を転々とし
て過ごしていた。
その間はずっと心のどこかで「俺は本当は
こんなとこで働く人間じゃないんだ」
と思っていたから、友達も
出来なかったし、別に仲良くなりたいとも
思わなかった。
そんな工場での作業は単純作業の連続で
あり、しかしそれは瞑想意識を育むには
もってこいの環境であった。
工場での後半の2年間は毎夜19時〜21時
までの2時間を瞑想の時間にあて、
その頃の瞑想のテーマは
「どんなに痛くても足を崩さない」
というものであった。
その2年間の内に瞑想をしなかった日は
1日か2日くらいである。
毎日足の痛みに耐えられたかというとそう
でもなく、週に2〜3回はやりきれたくらい
のものである。
瞑想中の後半一時間は大体いつも苦痛で
ある…否、激痛である。
それにしても不思議に思うのは、毎晩あんな
に苦しい思いをしていたのに、19時になると
それまでしていた事をスパッと辞め、
嬉々として「よーし、今日こそは絶対動か
ない❗️今日こそは不動の集中力を‼️」
と意気込んで座りだすのである。
瞑想中に痛みが訪れたらその感覚を注視し、
「それについて頭の中で意見を言わない。
喋らない。無心でいる」ということを行い、
それはつまり「思考が感情を誘発して、
又その感情が思考を誘発する」という
スパイラルからの脱却であり、確かに集中
できている時はどんなに強い感覚があって
もそれはただの感覚であり、心が平静で
ある時、嫌悪はどこにもなかったのだ。
それから工場を後にして生まれ故郷の東京
へと舞い戻ってきた。
32歳、季節は丁度冬の終わりであった。
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東京での再スタート
しかし、状況は相変わらずどん底から少し
這い上がったくらいのもので、荷物と
いえば手に持てる鞄に入るくらいの
もので、借金は240万円もあり、
父親のアパートに転がり込むといった
塩梅であった。
それから東京でハウスクリーニングの
仕事に従事し、バイト先の会社の寮に
住みこみながら、一年後には社内独立制度
で歩合制になり、それから一年後にはその
会社からも独立した。
その後は順調に年を追う毎に会社は成長を
続け、アルバイトから始め、ドロップアウト
するまでの8年間で従業員は最大10名に
までなり、こだわりの事務所は古民家を
自らの手で改装し、調度品の多くは私の
骨董趣味を生かした物で埋め尽くされ、
誰もが感慨の声をあげるお洒落空間を演出
することができた。
その間仕事上の失敗も勿論沢山あったが、
その都度転機と捉えて改善する意識を
保って事に当たることが出来たのは、
"自覚意識" の介在による改善が捗ったから
だと思うのである。
くだんのヴィパッサナー瞑想にも数年
おきに訪れるようになっていたが、
仕事に尽力するあまり普段から瞑想する
事は殆どなかった。
しかし、工場での2年間の瞑想で
"自覚意識を保つ" コツを掴んでいたので、
起きている間中は常に無心でいる事を
心掛けていた。
「求道者は黙して嘘をつく…」ブログより瞑想に関する記事⬇︎
「瞑想の実践法を紹介」…その6. 只管打坐 - 求道者は黙して嘘をつく…
そしてそれは今でも継続している沈黙の
行であり、
そうする様になってからというもの願望は
ことごとく実現され、
今となっては東京での仕事をドロップ
アウトし、悟りを得るため、
そしてその為の田舎での精進生活を
皆さんに伝え、
皆さんに人生が向上する為の情報を提供し、
皆さんの人生の一助となる為に "求道作家"
として活動するようになったのである。
幼少期、10代20代とあんなに愚かで何事も
中途半端だった私の人生がここまで好転する
とは本人が一番思っていなかった。
悟りとは何か。真の自由とは一体なん
なのか。
人生を賭して追及するにはあまりにも
浮世離れした雲を掴むようなそんな
夢物語を、大自然の中で真剣に探求
しようと試みる求道者のライフスタイル
を紹介していきます。